さとうみつろう「神さまとのおしゃべり」


1年間瞑想を続けた

願いは1つ残らず全て目の前に叶っている
ある人にとっての現実とは、100%その人の思い通りにできている

幸せバカ
幸せ(=望みは全て叶っているということ)に気付けていないバカが多い
自分は不幸だと思いこんでいるだけ

会社に行きたい(給料をもらいたい)と願いながら会社に行きたくないと願っている

1.願いが叶うころに、本人が忘れていたり
2.願いが複雑で、叶ったこと自体に本人が気付けなかったり
3.間違えた願い方をしたせいで、変な形で叶ってしまったり
望んでいないことが人生に起こると感じた時に、人は苦しむ

現実に不満があるなら、願ったお前たちが自分の願いであることに気づいていないだけ

信じたいという願い
信じるとは、こうであってほしいと願っている状態のこと
信じたことは、全て現実となる
サラリーマンは豪邸なんて建てられないを願いの形に変形すると、サラリーマンは豪邸を建てないでほしいになる

常識なんてこの宇宙には1つもない
常識とはその人が勝手に信じこんだルール
それぞれの人が、それぞれに何かを信じこみ、各々の常識の中で窮屈に生きている

目に映る全てが、そう見たいと願ったからそう見えている
耳に聞く全てが、そう聴きたいと願ったからそう聞こえている

量子力学
解釈問題、観測効果

たった1つの事実なんてどこにもない
あるのは見る人それぞれの解釈だけ

もらえるとさえ信じていれば、表面的な理由は何であっても結局もらえる

宝くじ
確率という表面上の言い訳を添えて、そうした方が当たると信じただけ

潜在意識→表層意識
顕在意識→深層意識

深層意識の中で、床は硬いものであると無意識に考え続けている
この自動で考え続けてくれる機能こそが、観念

観念とは、その人の大切な願いの結晶
何かと何かを勝手にくっつけて、それがくっついたままになっている状態のこと
強くくっついて固定化されてしまったものが固定観念

本来は、お金と幸せなんて、全く関係ない

シュレーディンガーの猫

記憶なんて、脳内のただの電気信号
パソコンに昨日という架空の情報を全てインプットすれば、パソコンは昨日もいたと言うのと一緒

何も信じていないということは、全てを信じてるということ

信じた観念が、次の観念を創り上げ、それを繰り返しここまで成長してきた

人生は3段階
1.全ては大丈夫だと知っているから、つまらない観念を無数に獲得していく時期
2.大丈夫だということを忘れてしまい、抱え込んだ無数の観念のせいで悩む時期
3.誰かに秘密の人生のルールを教えてもらい、理想通りの現実へと構築し直していく時期

この世界は相対性の世界だから、何かと何かを比べることではじめて、全ての位置が確定する
自分は不幸であると一度思わない限り、自分は幸せであると実感できない

自分をチェックできるのは、鏡だけ
現実とは、自分が何を信じているかを映し出す鏡

鏡そのものを見ることはできない
鏡は常に何かを映しているから
映っている者と映している者の間に、鏡という境界線はない
あなたがあなたを見ている
現実にあるものは全てが、あなた

本来は、感情を選択する立場が人間
怒っていることを英語では、I'mangry.と言うが、正しくはIfeelangry.
私は怒りですだとずっと怒ったまま
私が怒りを感じたならその後喜びだって再選択できる

感情が湧いた時
1.自分自身を静観し感情に同化しない→誰がその感情を選択しているのか?
2.どうして私はこの感情を選択したのだろう?と考える

感情が湧く場所には理由があり、それこそが、その人が信じている固定観念
その前提があるから感情が湧く

正義とは、特定の誰かにとって都合のいい解釈

目の前のできごとが原因と間違える→全ての原因はその人自身

感情というのは段差を埋める、1種のエネルギー
ある人が好き勝手に何かを信じて、独自の固定観念を保持
その観念が投影されて、現実ができ上がる
その映し出された現実の中で、その人の信じていることが、強ければ強いほど、理想との間に大きな段差ができる

自分で勝手に、一度何かを仕込んで現実を創り上げて、その現実につまずいて本気で怒っている
自分で勝手に仕込んだ固定観念が原因だと気づければ、悲しみに溺れることも怒りに震えることもなくなる

1.悲しい時には、なぜ私は悲しいのだろう?と自分自身に聞く
2.そこには必ず、自分が勝手に信じこんだ固定観念がある
3.それこそが真の原因
4.そして、それを勝手に信じこんだのは自分なんだと気づく
5.自分で勝手に騒いでいるだけと気づき、笑えてくる

悲しみの原因は自分の固定観念だと気づけなかったのが、今日までの愚かな人類の歴史

感情が溢れる出来事が現実に起きたなら、それはチャンスだと思う

意外とは
自分で勝手に「意」を仕込んでおいて、その後その「意」を「外」してびっくりしているだけ

仕込んだのも自分だということを忘れてしまうから、現実に振り回されて苦しむ

全ての感情が湧く場所には自分が勝手に信じこんだ固定観念(イガイノマエノイ)がある

固定観念を変える方法
1.まず自分の固定観念に気づく必要がある
2.自分で気づくためには、現実という鏡を見る
3.探す場所は感情があふれるできごとの周りで
4.そこに真の犯人である固定観念がある
あとは、見つかった固定観念とは違うことを信じてみるだけで、観念はすぐに消える

歩み寄りの手法
2つの矛盾する信じることがあるから、現実で何度も苦しむ
真逆側を信じてみると、+1を信じていた人が、-1を信じて両方信じれば0になる

表層意識で嫌いだと思っていることの全てを、実は深層意識では好きだと思っている
深層意識だろうが表層意識だろうが、信じたことが現実に映る
たいていの場合、自分の信じている深層意識の意見は他人を使って言わせる

表層意識は自分でコントロールできる
自分が信じている反対側を信じる勇気を持てばいいだけ

表層意識の部分を、心理学ではエゴ、仏教では自我と呼ぶ

現実が鏡なら、鏡に対して行ったことは全部本人に跳ね返ってくる

鏡に映る、自分の髪型を先に変えようとしている
現実を先に変えることはできない
投影元である、自分の考えを先に変えるしかない→解釈を変えればいい

鏡は先に笑わない

目の前の出来事を見て、こんなこと私は願っていないと思った時は、起こった出来事を先に変えようとせず、その出来事をどう解釈するかを先に変える

全てが見える場所なら、全てからも見られている場所

現実という鏡を見て感想文を言うのではなく、それをどう思いたいのか意思を表明する

連続鏡地獄から抜け出す方法は、想像
できごとには、与えられた唯一の意味なんてない
無意味なできごとに人間が意味をつけている
現実を見て、それとは違う思いたいことを想像する

想像の仕方にもコツがある
宇宙にお願いする時、否定語は通じない
嫌いなものを嫌いだと考えるのではなく、好きなものを好きだと考える

書くワーク
一番左上に嫌なことを書く
2番目の上には、それならどうしたいか?と書き
3番目の真ん中の上には、そしてどうなりたいか?と書く
4番目には、それが叶ったらどう感じるのか?と書く
最後に、結局、どうありたいか?と書く

宝くじにせよ、金持ちにせよ、これらは全てただの選択肢、それらを経ずとも今すぐ幸せになれる

1.人間には嫌なことを考えるクセがある
2.それならどうしたいの?と聞くだけで、人間は嫌なことを考えるのをやめる
3.方向転換すると、最初に行動部分に焦点が当たる、宝くじに並ぶ趣味はないということは、この行動部分を想像しつづけても意味はない
4.それならどうなりたいのか?と自分に聞くと、金持ちになりたいと言った、でも金持ちは本当の夢ではなく、ただの固定観念から出た選択肢
5.結局、金持ちになった時に感じるであろう、らく〜という感情を味わうのが本当の夢
6.それは金持ちを経ずとも今すぐ感じることができた、感じる方法は身の周りにもうすでにあふれている

老後に働かなくてもよくなるために、働いている
働かないことを目標に掲げて、今働いている

なりたいという願いは今日限りで捨てる

上手に勘違いする方法
ないではなく、あるを探すゲーム
身の周りから不足じゃなくて、充足を探す
遠くにそれを探すと不足になり、身の周りに見つければ充足になる
もう十分だと言えた人から、このゲームを終われる
老子「足らを知る」

感じた不足の数だけ、現実は不足を映し出し、さらに不足が見つかりやすい環境となる

幸せな人がいるわけじゃない、幸せだと思った人がいるだけ
金持ちな人がいるわけじゃない、金持ちだと思った人がいるだけ

99%の幸せに囲まれて、なぜ1%の不幸を探す?

願いというのは、不足のこと
願いが叶いすぎる世界は退屈
お腹も減らない、ノドも渇かない、恋人に会いたいとも思わない世界は楽しいだろうか?

判断を止めて、未来に先送りする
計算できていないだけで、ひょっとすると目の前の出来事はいいことの布石かもしれない

叶っていない夢があるから、人生は楽しい

人間の欠乏欲
大元で束ねているのが、幸福の欠乏欲
自我の欠乏欲、安全の欠乏欲、存在の欠乏欲

毎瞬、目の前に現実を創り上げている
ゼロから全てを創り上げつづけており、全ての材料を持っている
叶えるためには、一度わざと幸せじゃない状態を創らないとダメ

この宇宙では、なりたいやほしいは不足を前提に産んでしまう
だから、不足を見たくないなら、なりたいなんて言わずに、すでにそうであると信じる

見えるものは、不足だけ
充足は感じることしかできない

理由がないことが、幸せの唯一の証拠

不幸は目につくが、幸せは見えにくい

迷っているということは、実はどっちでもいい

悩みに深さなんてない

悩みとは、選択肢のこと

まずは悩むのを止める

人が後悔するのは、違う選択肢にしておけばより良かったから

選択したこと以外のことは経験できない

1.人間は目の前の現実以外は経験できない
2.それなのにこれ以外にしておけばよかったと目の前の現状に不満を言い始める
3.だから後悔があるなら、すぐに後悔を止める、どっちみちそれを判断する力なんてないのだから

現実を変える呪文
後悔が起こった瞬間に、しめしめこれはきっと上手くいくと唱える

自分が信じている範囲から選びたいと人間は願う
自分を超えた不安の部分にこそ、正解はあった

人間には見えていないだけで、そこには光が存在する
人間には聞こえていないだけで、そこには音が存在する
人間にはかげていないだけで、そこには香りが存在する

見える×聞こえる×嗅げる×味わえる×触れる=信じられること
信じてない部分の方に、めっちゃ正解がある

信じていない部分のことを、人は不安と呼ぶ

起こる出来事全てを信頼し、流れに身をまかせてみる

お金=汚いと思っていたら、想像するワークで神さまがお金を嬉しそうに数えて好きだと言ってもらい、自分も良かったお金が好きなんですと伝えホッとした感覚を全身に広げる

固定観念とは真逆の簡単に金持ちになったというケースを自分なりに探す

本当の金持ちは与え上手

人は簡単に手に入ると思うものは簡単に手放す

お賽銭箱=かねもちバロメーターボックス
お賽銭の額は無理して超えるものではない
人は、手放した時と同じ態度で、手に入れる

お賽銭の額はお金に関する観念の総合指数を数値として測れる
このワークの上限は1万円

お金以外のものにも価値を与えるという方法
お金を使ってまで欲しがった全てのサービスにありがたさを感じる
受けたサービスよりお金の方が価値があるという錯覚から目覚め、最短コースで金持ちになれる

人間はお金ばかりに価値を与えている
危機的な状況ならお金より食料を持っている方がえらいように感じる
99.9%がお金以外の豊かさ
それに気づけば999倍早く金持ちになれる

観念の整合性
観念というのは無数に積み重なっている
たった一つの観念が変わるだけで、その変化が全ての観念に影響を与える
1つ1つの観念を書き換える必要はない

駄菓子屋で欲しいままに全て買う
買えるという喜びを味わうと自分は豊かなんだと思えるようになる

小さな成功体験を繰り返すことで、否定的な観念がすぐ消える

うらやましい、悔しいという言葉は、自分にはそれができないと思った時に出る言葉
悔しい、うらやましいと言わず、すばらしいと言い換える→自分にもできると宣言することになる

右手と左手のじゃんけんでは永遠に学びが発生しないように、関係性を学ぶためにはあなた以外の存在が必要

あなたの周りの全ての人が、あなたに何かを教えたがっている

脳内のデータを元に計算することは、過去の経験という、とても少ない情報量からこうしたほうがいいとあなたに答えを出している
その答えに自信がないから、頭は何かと比べたがる

頭ではなく、心が好きになった人を好きになりなさい

僕の知らない価値観=僕とは違う価値観
あなたが知らないことを一番よく知っているのは、あなたが嫌いな人である
その人は、あなたの知らない風景をたくさん見ている人
色々な風景を楽しむために生まれてきたこの世界で、その人に歩み寄れば、あなたの願いはあっという間に叶う

学ぶとは、知らないことを知るということ

人間はいつも自分がどれほど頑張っているかを語りたがる
私は大変だ!と伝えれば優しくされると人間は思い込んでしまった

他人の努力を褒めることで、自分の幸せに気づける

こらえきれない幸せは周囲にあふれ出す
お金を使い切れなくなった金持ちは、周囲にお金を回すようになる

自分ががんばって金持ちになるよりも、誰かを金持ちにしたほうが、楽にお金が回ってくる
そのカラクリに真っ先に気づいた人たちが金持ち

人間は絶対に他の誰かを傷つけることなんてできない
自分がそう思っているから、自分で傷つく
現実に登場する人物は、全てあなたが考えている意見を語ってくれている
自分がそれに対して何とも思っていなかったら、絶対に引っかかることはない
相手の口から出たその意見を、一番認めているのは自分、表層意識では気付けていない

宮沢賢治
雨ニモマケズ、風ニモマケズ・・・アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシ・・・

お前のことを悪く思っている人は1人もいない
悪く思っている人がいるとお前が思っているだけ

存在しているだけですでに完全な役割をこなしながら、認められているのに
あなたという役割があるからこそ、そこに存在できている

1つ1つの縁が積み重なって、たまたま目の前で1つの出来事を起こす
縁起が目の前でただ展開している
人間は私が次の行動を選択できると錯覚している
流れのパワーが次の行動を選択させているだけ

何を言うか、何を考えるか、何を選択するかがすでに決まっている→まるで映画を見ているよう
この宇宙はすでに撮影が終わった映画のDVDのようなもの
TVの外にいるからこそ、そのドラマの内容(ビリヤードの球のぶつかり合い)に影響されずに、自己同一化ができる→本当の私

宇宙は1つ→ユニバース
マルチバース、複数の宇宙がある
選択の数だけ、無限にDVDは用意されている

感謝こそ最後のキー
現実に一点でも不満がある限り、DVDの中の視点から、抜け出せなくなる
感謝の数だけ本当の私に重なっていく

自分の力でどうにかできると思うから、苦しくなる
自力でどうにかしようという幻想を捨て、本当の私が望んだ通りに全てはただ起こっていると気づけたなら、その瞬間に世界の風景は変わる、一瞬で

なれるからここ、その夢がその人の現実に映っている

背中を押せるのは、いつでも他人だけ

悩みはその人にとってだけ大きく見える
悩みは大したことがないと気づけるまでが悩み

待っていればいずれ絶対に体験できる死について考えるより、生きているうちにその世界でしかできない色んなことを体験しなさい

いつかと願えばいつかが叶う
そして、いつかなんて、いつまで待っても絶対に来ない

夢はなれている、なりたいじゃなくて
金持ちになりたいが夢じゃない、金持ちであるが夢
幸せになりたいが夢じゃない、幸せであるが夢

何か意見を言うということは、同時に何かをダメだと言ってあることになる
NOというから批判になる、全てにYESと言えばいい

人間は片方の意見だけを認める性質にある
たった1つの正解があると常に思っている
誰かを褒めなさいというと、すぐに自分は素晴らしくないと考え始める

矛盾の壁を乗り越える魔法の呪文
イーンダヨ!
いつでも言葉の最後に言うこと
どれだけ悪いことを考えていたとしても、一番手前側に白を刺せば、過去の全てのオセロが白になる

人間の夢の始まりに明確なラインなんて引くことはできない

人類の一番まちがった教育は、幸せになりましょう

感謝とは、起こるできごとの全てを認める行為なので一番大切
ただ、それを聞いた人間は、感謝が幸せになるための道具だと勘違いを始める
感謝をしている時こそ、人間は幸せ
幸せになるために感謝するのではない

苦しくなったら、悲しくなったら、不安になったら、悩んでしまったら、すぐにその場で感謝の念を体内に沸かせる

ミソカモウデ
3百円持って毎月30日に神社に行って、その月に起きたできごとにありがとうって言う
鳥居に入る前にペコリする
手を洗い清める
お賽銭箱に3百円(またはそれ以上)のお賽銭を入れる
お賽銭を入れた後ペコリする
大きく深呼吸を3回し、心を鎮める
合掌する
自分の名前、住所、干支を言う
お宮の鏡が見えるなら、それに映る自分を見る
鏡がない場合は目を瞑る
今月起こったいいことをできる限りたくさん思い出す
それら1つずつにありがとうございました〇〇(いいこと)が起きてとても幸せでしたと言う
ここで神からのビジョン(ありがたいなー、という感覚)が湧いてくる
この感謝の感覚に意識を集中し、感覚を全身に広げること
最後にヤワタヤワタと声に出してつぶやく
全てが終わったらペコリする
この感覚に包まれたまま、神社から家まで帰る


教えを聞いて1.学んで2.自分でやってみて3.隠さずに周りに伝える(シェア)を実践する




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